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2022.04.28

お墓について

なぜお墓は石でつくるの?

お墓を建てるとき、なぜ「石」を使うのでしょうか?
あまり知られていませんが、ガラスやセラミックでできたお墓も国内で販売されていました。しかし、今でもお墓といえば石というのが一般化されています。

では、それはなぜなのでしょうか?

目次

神話で語られる日本で最初の墓石

今回は小畠宏允先生(石文化研究所・所長)の「日本人とお墓シリーズ なぜお墓は石なの」より、墓石の始まりのお話をご紹介します。

日本列島と神々の誕生

『古事記』にある日本最初の「墓石」のお話の前に、日本列島と神々の誕生を「神代」の物語でみましょう。

日本列島は天の神々が、イザナギの命という男の神様とイザナミの命という女の神様の二神に「国生み」を命じて生まれました。

イザナギとイザナミが天上から下をのぞくと、そこは何もなくドロドロした重油の様な世界でした。

そこで天の浮橋から天の沼矛を差し込み、かきまぜて引き上げると、矛の先からコロコロと塩が固まるようにしてできたのがオノゴロ島です。

二神はその島に降りて、天の御柱を立て、「柱の左右から回って出会ったところで国を生もう」と誓います。 

まず淡路島、次に顔が四つある伊予の島(愛比売・讃岐・粟・土佐=四国)、……筑紫の島も顔が四つ(筑紫・豊・肥・熊曽の国=九州)、……最後は秋津島(=本州)で、日本には八つの島々からなる「大八島国」が誕生しました。

国生みが終わると、いろいろな神々を生みました。

石土・風・海・木・山・野・鳥・穀物などの神々で、イザナミは「火(迦具土)の神」を生んだ時、御陰を焼かれて病気になりました。

その間も水や食物の神々を生んで、全部で四十もの神々が生まれました。

黄泉の国と千引石

ここからが日本最初の「墓石」の神話です。

イザナギはイザナミの亡骸の枕辺で「美しい妻が火の神と引き換えとは!」と泣き、涙から生まれたのが泣沢女の神で、葬式の「泣き女」のはじまりです。

イザナミは亡くなると、出雲の伯伎との境にある比婆の山に葬られました。

イザナギは妻に会いたくてあの世の「黄泉国」へ行くと、イザナミが出てきました。

イザナギは「愛しい妻よ、私たちの国づくりはまだ完成していない。どうか帰ってきてくれ」とたのみます。

イザナミは「なぜもっと早くきてくれなかったの。もう手遅れです。私はあの世の食べ物を食べてしまったので、もどれません。でもわざわざおいでになったのですから、黄泉の国の神様に相談いたします。決して私を見ないで!」といって宮殿の中へ入りました。

長く待たされたイザナギは、櫛の一本を折って灯をともすと、そこにはウジ虫がわき、身体には八つの雷が宿るイザナミの亡骸があったので、おどろいてイザナギは逃げ出しました。

イザナミは「私に恥をかかせた」と、黄泉の国の魔女たちに追わせ、イザナギがなんとかのがれると、次には黄泉の国の軍隊を差し向けました。

それもなんとか退け、イザナギはとうとう黄泉比良坂まで逃げてきたとき、イザナミ自身が追ってきたので、イザナギは千人でやっと動かせる巨大な「千引石」で出口を塞ぎました。

この千引石が、神話に出る「墓石」の始まりです。

そこでイザナギとイザナミは、千引石(墓石)を中にはさんで最後の別れの言葉を交わしました。

イザナミ、「あなたがこんな仕打ちをするなら、あなたの国の人間を日に千人殺します!」。

イザナギ、「あなたがそうなら、私は日に千五百もの産屋を立てて見せる!」。

これは一日に千人が死に、千五百人が生まれることですが、「ひとは死ぬ運命にあるが、日本の国は人の数が増えつづけて栄える」という神話的予言です。

このあとイザナギが(黄泉の国の)死の穢れを身禊すると、天照大神、月読の命、スサノヲの命などの神々が現われ、天の岩戸や八俣の大蛇退治などおなじみの神話が展開します。

「墓石」に込められた意味

この神話より、「千引石(墓石)」には3つの意味があると考えられています。

1.地下の死者の国の出口を塞ぐ石

千引石(墓石)は、イザナミの命が往った「黄泉の国」(死者の国)の出口を塞ぎ、死者がこの世に自由に出てこれない役割をしています。

2.あの世とこの世の境界石

千引石はあの世とこの世を分ける境界の役目があります。

境界石はのちに「道祖神」「賽の神」や墓地の入口の「六地蔵」、四つ辻・村はずれのお地蔵さまなどになります。

どれも知らない異界と日常の世界とを隔てる石という意味です。

外敵や疫病・厄病神の侵入をふせぎ、あの世で苦しむ死者を救い、知らない世界へ旅立つひとや、そこに暮らす人々の生活を守るなど、さまざまな民俗、仏教、神道の意味が込められています。

3.死者と生者を仲立ちする石

生きているものと亡くなったものとが会話をする仲立ちの役割をする石で、これがもっとも大切な意味です。

亡くなった肉親の魂と、残された家族とが、心の中で素直に会話をするところがお墓です。

神話は、お墓(千引石)をはさんで死者と生者が会話をすることの大切さを教えてくれているのです。

石には霊が宿る

日本人は昔から「石」に霊が宿ると考えてきました。だから神霊が宿る「磐座」を石でつくり、「千引石」が最初のお墓となったのです。

日本には八百万の神々がいますから、自然界のあらゆるものに霊が宿っていますが、石は特別な霊力があると思われたのです。

たとえば、『古事記』にはスサノヲの命が天照大神に身の潔白を明かす「誓約」のとき、天照大神の八尺の勾玉に息を吹きかけると五人の男神が生まれた話があります。

つまり勾玉は霊力のある石だったのです。

日本人が古代からお墓を死者の霊魂がやどる依り代の「石」で作るのは、「石」の霊力を信じる伝統があったのです。

それは一朝一夕に失われるものではありません。それが二千年の伝統の重みです。

「お墓は石」という日本人の心情にはこうした神話と歴史の背景があったのです。

参考:小畠宏允著『お墓入門』(石文社) 詳しくはこちら